タロウのD通信第68号
――――― 製造業立国の誇りと気概 ―――――
ニュースで気になったものがあった。それはドイツのシーメンス社が将来の事業継続を断念して台湾のBENQブランドで知られる明基電通社に3千人の従業員とともに事業譲渡をした携帯電話の事業会社がわずか一年の破産してしまったとことに対して、事業を譲渡した親会社のシーメンス社がこの3千人の失業に対して総額3500万ユーロ(約52億円)の新規雇用の確保のための支援をすると約束したとのことである。
日本では今世紀早々に実行された資本移動の自由化(ビックバン)により、ヘッジファンドなどの外資が自由に日本市場に出入りをして、事業の売買をしているが、ここドイツでも同様にヘッジファンドなどが供給する資金を元手にした、事業の売買が活発でありそれにより仕事を失った人や、新たに事業を起こす人など悲喜こもごも、である。その中で電機、機械業界の名門であるシーメンス社は異例ともいえる、事業譲渡先の従業員に対して一人当たり1万2千ユーロ(邦貨で180万円)の支援を決めたのである。この背景はドイツ製造業のシンボルともいえる同社の従業員の雇用に対する意識と高度に洗練された製造業に対する誇りと気概を明確に示したものといえる。すでにこの稿では何回か指摘しているが、ドイツ人の特長は隣のフランス人などとは異なり、集団行動を得意としており、それを活かして優秀な工業製品を製造する技術を持っている点である。これは小学校(グランシューレ)から中等学校(ギムナジウム=日本でいう小5年生から)などで集団行動する方法を徹底的に教えられることことに大いに関係している。有事の際の避難訓練は当地では毎週のように行われているとの話を聞くし、実際に訓練用のサイレンが毎週近くのグランシューレでなっているのを耳にする。その中で今回の一件はドイツの企業が自分の仲間として苦労を分かち合った自社の従業員に対しては一旦雇用した限りは、想定外のコストをかけても、最後まで雇用には責任を持つことを公に表明したものであり、ドイツ型の製造業の形態維持に力を注いでいることがよく分かる。また背景としてこの問題を放置すると長期的に自社の製造業としての強みが廃れてしまうといった危惧があることをよく示している。
日本では安倍政権が小さな政府、高成長、再チャレンジを優先課題として国民に示しており聞こえはよいが、仮にその目的と意味しているところが、政府の管理・干渉が少なくなり、米英の余剰資金を簡単に導入することで事業の売買を活性化させ、短期的に高成長を図り、一方でそれによる犠牲者を税制面で救済し再チャレンジを図ることであるのであれば、気をつけなくてならい、それは日本型製造業の崩壊につながるからである。日本人はドイツ人とともに集団行動を元来得意としてきた国民である。しかしながらそれは戦後のアメリカ型個人主義の教育の元で徐々に衰退してきている。一方それに代わるものとして、米英の新自由主義が取り入れられているが、それによる弊害は特にアメリカなどの外国資本が入った製造業では品質低下という形で、顕著になってきている。たとえばソニーの電池の問題など従来の日本のメーカーでは考えられない問題が発生している。
ここドイツでは高級車の代名詞のように言われてきたメルセデスベンツの低迷が同種の問題として挙げられ、最近ではライバルのBMWに業績で大きく水をあけられている。今ドイツではベンツはすぐ故障するとの認識でほとんどの人は一致している。高額な車を購入したにもかかわらず、わずか一ヶ月で修理に出して乗れなくなったという嘆きは当地ではよく聴く話である。これにも背景がある、それはベンツ社にとって、文字通りドル箱であるアメリカの市場を維持、確保するために決定した、米国クライスラー社との合併による従業員のモラル低下がその根本にあると思う。それは皆仲間を大切にして協力を惜しまずよい品質を維持することこそが事業の根本と認識していたドイツの優秀な操作工に対して、今の経営の規範は金の確保がすべてだということを体感として認識させてしまった結果である。先日日産とGMの提携がご破算となった、これなどは金だけで事業はうまく行かないことを事前に察知した英明な判断ではないかと思っている。それにしても一度従業員のモラル低下を招いたメルセデスベンツ社やソニーの製造業としての復活にはまだまだ遠い道のりが待っているようである。ちなみに当地でもっとも故障しない車として賞賛を浴びているのは広島生まれのマツダである。
金、資金は経済における血液にたとえられる、まったくその通りと思う。しかし血液はあくまでも必要な栄養や酸素を伝えるだけの手段であって、これを確保することは通常では、目的ではない。即ち金を確保しても、心が変わってしまったのではもはや意味は無いのである。今回のシーメンスの提案は自社の愛すべき従業員に対する製造業維持の明確なメッセージであるが、同時にその償いとして、またお金を使わざるを得ないという、現代社会の深刻な矛盾を示しているように思う。ところでドイツの自動車メーカーや機械メーカーで、長年品質向上に努力をしてきた優秀な技術者はいまやポーランドやスペインなど他のEU地域の自社工場またはロシア、中国やブラジルなどの外国の合弁工場でその技術、ノウハウを活かして確実にその技術をローカルスタッフに浸透させているとも聞いている。EU設立による国境の消失やWTOの推奨する自由貿易協定は国境の存在を有名無実化しつつあり、それによるボーダレス化が、よいノウハウを、国境を越えて普及させ、発展をさせている。そしてこの事実は国家単位の政治と国際単位の経済の分離をますます加速させている。そしてそれはEUのような地域経済圏の確立また世界経済圏の確立に進むことはもはや避けてはいられない現実と思う。そう考えるとドイツや日本の優秀な製造技術が東欧、南米や中国、インドで花が開くことはむしろ当然の流れかもしれないし、ドイツや日本の仕組みがそれらを生む土壌を持ち続けるのであれば、自分の国家枠にこだわる必要は無いのかもしれない。ただしこの変化にどのように政治がかかわっていくのかについての見極めは、EUの勇気ある壮大な実験の結果次第であると思っている。
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