明星食品に続いてサッポロビールもか? vol.84
昨日の新聞報道で米国金融街の投資会社がサッポロビールの経営権を買収するとの記事が出ていた、先の明星食品の成功で味をしめ、二匹目のどじょうを狙っているのか、このような外資による日本企業社会への蹂躙が果たしていつまで続くのであろうか?彼らの勝手な振る舞いをうれしく思わない我々日本人自身が何もできずに、手をこまねいているばかりで、それを許してしまっている事実をみて、つくづく情けなく感じてしまう。ところでこのような問題が続発する背景として、外国ファンドの自由な出入りを許した政府にも問題はあるとは思うが、それを容易に受け入れてしまう、日本企業の経営者の自己の職責に対する無責任にもっと大きな問題があるのではないかと、最近になって感じるようになった。
というのは私もかつて大企業といわれる組織に在籍していたのでよく分かるが、他の仕事を一切経験しない純白な中で、入社をして当初の5年間は研修期間として鉄は熱いうちに打てとばかりに、種々技能の習得またサラリーマンとしての帰属意識やしきたりを徹底的に教え込まれてきた、またその中でどのように振舞えば上司や同僚との関係がスムーズに動き会社がまとまるかも自然に身についてきた、その中で一旦会社に経営上の不安が起こると、即座に皆で一致団結してベースアップの停止に協力し、他社と比べて少ないボーナスにも甘んじ会社の存在に協力してきた。結果としてこのような経験の積み重ねがそれぞれの会社における自分の確固たる地位を築き会社人間として一人前になり、これが終身雇用の制度と結びつき生活の安定を提供してくれたと考えている。またその底辺にながれる重要な条件として上司と部下との信頼関係が存在していたのである。即ち上司はどのような状況に遭遇しても部下の生活を保障することを何よりも重視して社内の人間関係を作り上げ結果として磐石な会社組織を維持発展させてきたと考えている。しかしながら、ここのところ繰り返される外資による買収、転売劇に遭遇するとき、この伝統的な日本の会社の仕組みが音を立てて崩壊しているように感じる。会社が過去のように組織をしっかりと維持し、その結果として外部ののっとりに対して防御をするために、株式の持ち合いやメインバンクによる株式の安定保持の仕組みをあみだし、それが効果を発揮していたにもかかわらず、自らそれらをあっさりと放棄して、容易に外資ファンドに経営権を握られてしまう事が良く理解できない。実際に会社の経営者は外資の参入により、自社の最大の財産ともいえる従業員の雇用の安定を損なう結果になることを想像できなかったのであろうか?
投資ファンド会社によって、派遣された社長が最初にやることは経費の効率化と称してもっとも大きな比率を占めている人件費の削減に手をつける、そのうえその対象は旧来の会社組織にどっぷりとつかり、良い意味で貢献をしているが悪い意味で甘い汁を吸っているとみなされる幹部社員・中堅社員のリストラとなって実行される。またその際過去の会社に対する無形の貢献即ち人間関係を良好に発展させ会社組織の維持に協力した実績は一切考慮されず、むしろ弊害として真っ先に取り払われることになる。
これは他人事ならば、単なる興味の対象でよいのだが、自ら会社に席をおいている人間にとっては、実際にもたらす問題は大いに深刻である。というのは一般的にはこの世代の幹部・中堅社員には高等教育が必要な子女がおり、これからまさしく子女が大学に進学しなくてはならなず多額の費用のかかる時期に当たるためである。したがいこの突然の災難に見舞われた際、一人の会社人間が取れる選択肢は限られることになる。しかたなく自分が今までの会社に対してとった態度を180度転換して新しい外国人の社長に媚を売るか、忍耐の一字で体制が変わるのを待つかである。しかし外国の社長は手荒でありしたたかである、目標である人件費の削減を達成するには手段は選ばない、どちらにせよすでに退社リストに掲載されている訳であるから、徹底的に本人から権限を剥奪させ、補償のいらない自発的退社を迫るのである。また現在の日本にはこのノウハウを持って会社を渡り歩くことで生業を得ている日本人も数多くいる、彼らは自らの体験から編み出したノウハウを持ってこの事を迅速且つ的確にこなすのである。
ここで私が提言したいのは、日本人は日本の伝統的なシステムにより運営されてきた会社にいきなりアメリカ式の会社買収などといった仕組みを導入する際に、安定雇用の確保ついての是非をもう少し真剣に検討すべきではなかったかということである。またその過程にアメリカの一方的要求に対して、自らの実情をよく吟味をせずに法律を新たに作り、簡単に受け入れてしまったという政府のやり方に批判や反対があってしかるべきであると思う。一方会社の経営者は自社の愛すべき社員が退社の危機に置かれることを予測できた時点で、自らの経営者の責任を完遂して、それぞれに対して真剣に対応策を講じるべきであったと思う。それだけに自分の経営者としての責任をもっとまじめに考えるべきでなかったのだろうか?また国としても果たしてここまでの問題を生じさせてまで、この仕組みを日本が受けいれる必然性が存在していたのかについて、もっと突っ込んだ議論があってしかるべきであったのではないか?
これらを他人事として片付けることは簡単だが、問題はこのように不遇をかこわなければならない人々、またまじめに会社の方針にしたがい、時として、超人的な忍耐を続け家庭をも犠牲にして会社に貢献した人々を傷つけてまで外資の参入を受け入れたことの対価がはっきりしないことである。例えばこれらの買収劇により利益を得るのは米国の投資会社だけであり、社員は言うに及ばず、消費者にいたっても、今まで3社あった大手ラーメン会社が2社になり、競争が少なくなることで商品の選択肢は狭まり、競争が減ることで販売価格が上昇し、結局消費者、国民が不利益を蒙るのである。同じことが、過去の事例に全く検証がなされないまま、ビール業界でも続くのである。すくなくとも得られることと失うことを比べれば失うものの方がはるかの多いということを皆が共通認識として持つべきではないだろうか?
私は日清食品に買収された明星の社員が今どのように考えているのか分からない、また今回正に渦中にいるサッポロビールの従業員の方々がどのように考えているのかは分からない。しかしながら終身雇用の下で最大限まじめに働いてきた人にとっては、会社を途中で辞めることに対する準備が全くないのが普通であり、これらの転職を想定していない会社人間にとっては、次の会社で働くことは簡単ではなく、ましては起業などというものはそのノウハウすら持ち合わせておらずほとんどできないことは事実である。したがいこの将来に不安を持つ自社の社員の雇用責任を経営者が簡単に自ら放棄して、外資に売り渡す行為は過去からの各社員の会社に対する人々の努力と貢献に対する、裏切り行為であると考える。またこのことの国家や我々日本人が放置し容認することは、我々が美徳として尊重してきた、社会という人の営みにおいて、まじめにしっかりとやる人を軽視して、そこに価値を見出しながら皆で安定を目指す仕組みの崩壊を座して待つと等しいのである。結果として継続して外資の参入を容認しすることは一企業の問題にとどまらず、伝統的な日本の経営環境と雇用関係の悪化をもたらし、産業構造そのものの崩壊させるのではないかと危惧している。
いかがなものだろうか?
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