外資襲来 M&Aの時代 加筆訂正版 Vol.183
2006年のサププライムローン問題の勃発以前は、投資銀行及びヘッジファンドは我が世の春を謳歌しておりました。そして投資銀行が集めた多額のドル資金を、数多くのヘッジファンドが智恵を絞ってその投資先を開発しておりました。そしてその一つが、企業買収M&Aであり、その道筋を日本につけるために、ブッシュ米国政権は小泉日本政権に対して、外資導入イニシアティブの策定と導入を強く求めました。その結果、日本政府はこの申し出を受けざるを得ず、国内の金融機関の再編させ、その中で資金供給を断たれた企業を外資への生贄として差し出したのです。そして、多くの企業買収劇が起こり、その結果数々の不幸がおきたことは記憶に新しいと思います。しかしこれは今振り返ると、デリバティブ、レバレッジ、空売りなどの虚業行為により不正に得られた資金を、自らの決められた領分を侵して実体経済にまで金儲けをしようと踏み込み、金のために自らの魂を売った、投資ファンドの人間が、多くの普通の民間企業や民間人を標的として利用することを認めた政策だったことが分りました。そして我々はこの事実をもう一度見つめなおし、後世に伝える義務があると思っております。この度、昨年度掲載しました。外資襲来を加筆訂正しました。今後正しい世の中作りのご参考にしていただければ幸いです。
日米投資イニシアティブ報告書2005年版で日本政府(経済産業省)は中間報告を発表している。そこには2001年の小泉・ブッシュの両首脳による 日米間投資の促進協定が順調に進展して米国より日本に投資された金額は、2004年度には約1000億ドルの投資残高となった旨の報告がなされている。それは2001年度に比べて1.5倍の規模ということである。巷ではファンドに対する国民の評価はそろそろ定まったかのようであるが、本年度より三角合併も解禁され、いよいよ米国のヘッジファンドの進出は本格化すると見られている。
同報告には日米の投資を促進する日本側のメリットとして下記が掲げられている。『対日直接投資に伴う新たな技術・ノウハウの導入が、硬直しがちな企業経営に直接インパクトを与え、変革を促す原動力となりうるものである。また外国直接投資は雇用の創出効果があると同時に消費者の需要創出、選択肢の拡大、便宜向上に大きく貢献するとも認識されている。』とすべて良いことがあるように書かれている、しかし現実にはどうであろうか?短期的な利益を追求し、 事業経営の能力もないヘッジファンドの参入を招き、新たな技術・ノウハウが日本にもたらされたどころか、会社の経営が危機に晒され、貴重な顧客リストや技術の流出し、日本長期信用銀行のように政府が大量の税金を支援したにもかかわらず、ヘッジファンドに叩かれて、大きな損失を出して外資に乗っ取られた例や、経営難に陥った小田原の政府系保養施設のように455億円血税をかけて投資した施設をわずか8億円で米系ホテルチェーンに売却したといったような悲惨な現実は実体を示している。果たしてこのような改革が日本の国益に合致するのかといえば決してそうではないといわざるを得ない。
さてある総合商社の株主構成を見ると資産運用会社や投資信託がずらりと並んでいる。かつて六大企業グループの旗艦商社としてしっかりとその地位を固めていた会社も現在では様相がまったく変わっている。実はこれこそが小泉、自公改革がもたらした後果なのである。2001年に日米投資イニシアティブの方針が確定後、政府は米国より具体的な投資対象を差し出せと強いプレッシャーを受けていた。日本企業はバブル崩壊の後遺症が根強く残りまた98年の金融ビックバンなどにより不良債権拡大の問題に苦しんでいた、特に銀行やその銀行の資金提供の元にノンバンク的な資金運用をつかさどっていた総合商社の状況は ひどかった。その中でも財務力の弱い非財閥系の企業グループの会社は各社ともに存亡をかけてもがき苦しんでいた。また大手銀行も米国が仕掛けたBIS の規制による自己資本比率の維持が株価の低迷により重くのしかかり、分子である貸し出し残高を減らすことに躍起となり、中小企業に対する貸しはがしやグループ内企業に対する融資上限の設定などが相次いでいた。このような時期に米国から次のプレッシャーがかかる、有利子負債の大きい企業は先行きが危な いから、これを何とかせよとの要求であった。具体的にムーディーズやスタンダートプアーズなどの米系格付け会社が会社の役割や事業の実体を見ようともせず、自己の判断で財務諸表上のDER(Debt Equity Ratio=有利子負債比率)だけに注目し、この数字が大きいということだけで勝手に格付けを下げ、その資金調達方法を制限した。戦後このような外資の直接介入は初めてだった、日本の各社はこの対応に苦慮した、この商社でも30代前半と見られる若い格付け会社の担当者が横柄にも直接社長以下すべての経営幹部を一同に呼び集め、インタビューを強要し会社の財務状況を問い詰めた。 しかしながら、日本政府はこれらの外資の動きを全面的に支持し、政策的に日本の会社の経営権を日本人から剥奪し、その後投資会社を通じて、金の力でその経営権を握り、リストラを行い、他社に売り渡すことで利益を確保することを推進したのである。そしてこれが目的である米国は、格付け会社を利用することでこれらの会社の経営を悪化させ、後は会社の経営陣自らが経営権を放棄することを求めていた。それに加えて米国政府は日本政府に対してもさらなる改革の進展を求め、それまで六大金融グループと呼ばれていた(三菱、三 井、住友、第一勧銀、富士、三和)を4グループ(三菱、三井住友、みずほ、UFJ)に集約したにもかかわらず、さらなる集約を望み、これに応える形で半ば強引に最小のUFJ銀行を解体、東京三菱銀行に吸収合併をさせた。結果としてこの動きによりUFJグループに所属していた企業の多くは生き延びるすべを失い、新たなる再編 を迫られることになったのである。それら実体を再現してみたい。
それはこんな形で進められた。私は2000年当時東棉実業の営業課長としてその業務についていた。平穏な正月が開けてすぐ、2001年1月、突然上司より休日出勤の命令を受けた、その日は成人の日の1月8日であった。会社に出向くと上司が普段とは違うカジュアルな服装で、実は明日重大な発表が東京証券取引所にて行われる、それは我社の化学品部門とライバル会社の日本綿業社の化学品部門との事業統合である。そしてこの情報は証券取引法により絶対に口外出来ないと念を押された。インサイダー取引となるからである。それを聞いた私は一瞬我が耳を疑った、即ち相手方の会社は 永遠のライバルと謳われていた日本綿業社だからである。本当ですか?理由はなにですか?上司よりは今の事業をより発展させるためにライバルと組むんだよとの簡単 且つ明瞭な回答であった。化学品というのは一般に文系出身者が多い商社にとっては特異な部門である。即ち商品そのものを扱うのに一定の化学の知識が必要だからである。したがいその習得には時間がかかり事業としての効率はあまりよくはなかった。逆に我社はそれを積極的に習得することで上位商社に比べても遜色ない業績を残していた。一方同じような規模の日本綿業社も同じ考えで、お互いに上位商社は怖くないが、最も気をつけなくてはならないライバルと認識していた。その日の自宅への帰途、この運命的な決定の帰趨を自分なりに考えてみたが、新しいフラットな組織は、単純に営業のしやすさから考え、常に厄介な社内稟議に頭を痛めていた中堅課長職としてまんざらでもないといった楽観論を結論として求める自分があったことを覚えている。結果としてその新しい事業統合会社バイオサイエンス社は種々必要な会計処理対策のために迂回会社を経て晴れて日本綿業社から80名、我々の東棉実業社から60名が転籍し、2001年10月に設立したのである。社長は日本綿業社側の 副社長、No.2の専務は我々のボスが東棉代表として着任した。また新社屋も隅田川を眼下に臨むツイン高層ビルの高層階の真新しい一室と決まり、新たなる旅立ち に皆意気揚々としていたものである。しかしその時すでに水面下では大きなマグマが地表を突き破ろうとうねり、上昇してきたことは誰も知る由がなかった。
2002年になると、米国は構造改革の進展が遅いと益々、日本政府にプレッシャーをかけてきた。それには97年度より始まった東南アジア金融危機が落ち着き、当座の仕事に目処がつき新たなるターゲット(投資先)を求めていた米国の投資銀行およびその実働部隊であるヘッジファンドの突き上げが背景にあった。米国は昨年以降、投資残高が伸びないと再三に渡って、日本政府にクレイム書を提出していた。そしてもっと確実な投資対象を作ってほしいと、暗に生贄を要求した。これに対して政府は具体的な方法を検討せざるを得なかった。しかしこの作業は官僚と企業との間で学閥や天下りなどが一般的な日本の産官癒着構造の中では困難を極めていた。一方でこの時期お互いに大量の不良債権を 抱えて四苦八苦していた東会銀行と三善銀行は東会銀行の最大の融資先の東海自動車の賛同もあり、新たにUFO銀行として統合が完了し、一息ついていたときであっ た。しかしながらその後日本政府は米国の要求に応えるために、UFO銀行及び同金融グループの解体を苦渋の決断として打ち出すのである。これにより資金供給経路を絶たれ経営難に陥る同グループ系の企業を米系投資会社に差し出すことを米国に対する回答として用意していた。その後、政府は間髪を入れずにUFO銀行に対して、不良債権を処理するために金融庁が公的資金の注入をするための調査チームの派遣し、わずかな不正を見つけ出しては、その実体を隠したと大々的に公表し、また行内には密告を奨励し、多くの問題があることを顕在化させ、公的な役割を持つ銀行として相応しくないとのレッテルを貼り、一気に取り潰し、他行への吸収合併へとすすめていったのである。これにより2005年に無念にも江戸時代に大阪の両替商として創業した名門銀行が力尽き、消滅したのである。
前後するが、2002年に新たに発足したUFO銀行の経営は安定したと見られていた、しかし統合後の銀行としては。他行に比べ、その規模が比較的小さく見劣りしていることに加えて非財閥系である、グループ内企業には財務体質の弱い企業が多く不良債権の問題は大きく陰を投げかけていた。この現状に加えて、上記の政府の方針に基づき、日本銀行が突然UFO銀行に対しての資金提供の縮小の方針を打ち出したのである。その結果、自行の存続が第一と判断した同行はグループ内の企業に対しての、資金提供の見直しと制限を打ち出し、グループ内の日本綿業と東棉実業の両商社にたいしてもクレジットラインを大幅に 引き下げ、融資総額を減らしたのである。この有無を言わせない対応に対して両商社はこれまで営業資金を提供していた自社子会社群に対しても同様の対応をとらざるを得なくなったのである。結果として2002年に突然当時すでに年間1000億円程度の売り上げがあった我々バイオサイエンス社への資金提供の打ち切りを提案して きたのである。この提案は他人の資金を利用して事業を切り盛りしている商社に対しては死を意味することと同等なほど重大である。経営陣は強硬に反対し抵抗するも、 日東両社自身の存続も危ない状態にてこの提案を受け入れざるを得なくなった。一方平行してバイオサイエンス社および両親会社は代替の資金供給先を探していたが、そこに浮上したのが政府の外郭団体即ち独立法人の日本政策投資銀行からの融資であった。この話を聞いた社員はひと時、皆これはすばらしい解決策であり日本も捨てた物ではないと安心し小躍りしたものである。しかし実はそこに大きな落とし穴と巧妙な外資の仕掛けがあったのである。
日本政策投資銀行、これは政府系金融機関縮小の方針、また世間からの天下りへの批判をかわすために旧大蔵省系の旧日本開発銀行が母体となって新たに設立された独立法人である。その後政府の民営化推進の政策により2008年度には純粋な株式会社に移行することが決められている。また政府系金融機関としてはこれ以外に、外務省系の国際協力銀行、また6つの公庫として国民生活金融公庫、中小企業金融公庫、住宅金融公庫、農林漁業金融公庫、公営企業金融公庫、沖縄振興金融公庫があり、いずれも天下りの温床として問題化している。
話を戻す。バイオサイエンス社の経営幹部および社員は2002年9月のUFO銀行の融資総額削減による、両親会社からの突然の資金提供取り止めの通告に接し、 会社全体が動揺したが、結果として繋ぎ融資が実行され、その時点では資金の供給は継続されており、日常業務には大きな変化がなかった。しかしながら、ある日会社のトップより課長以上の管理職全員に会議室に集まるように召集がかかったのである。その会議では財務部のトップより諸情勢についての簡単な説明が あった後、突然来月度より社内金利を大幅に上げるとの発表があった。この発表は我々営業部隊にとっては衝撃的なニュースであった。この新しい社内金利は まったく市中で流通している、即ち銀行の窓口で我々が得ることができる通常貸付金利と同じ水準であった。これを知り、それまでは誰が見ても安い優遇金利を無条件で手にして、その金利と市中金利との差額を利用した、所謂商社金融として鞘抜きをしていた、やり方ができなくなることを考えると前途に暗雲を見た思いであった。
それまで商社は同じ金融グループの中心である銀行よりほぼ無制限でそれも限りなくプライムレートに近い金利で資金の供給を受けることができる有利な立場にいた。銀行側もグループ内の商社に対しては自行の別働隊としてその運用機能を保証していた。商社はこの低金利の資金の利用に智恵を絞って、収益を上げるのである。例えば一般の輸出業務においては、メーカーは統一規格の商品を大量に製造することでその製造コストを低減させ、競争力を向上させようとする。しかしながら、限られた日本の国内市場を相手にしていたのでは、マーケットが小さすぎて規模のメリットを生かすことができない、また大量の商品を製造するには原料の調達コストやエネルギーコストなど多額の資金が必要となる。そこに目をつけた商社はメーカーに対して、同社の製品の海外市場への輸出を提案する。その提案の元になる情報は世界の100以上ある自社のネットワークよりもたらされる。例えばドイツ支店から高性能の研磨機10台を納期はどのくらいで、価格のアイデアはどのくらいといった情報がもたらされ、それを元に本社の営業部門では業界を調べ上げ、直接そのメーカーにコンタクトをとるのである。 その際商社は通常の貿易会社とは異なり、原材料を購入するに必要な運転資金の提供や海外顧客への訪問の手配などすべてパッケージとして提供するのである。 戦後外貨獲得が至上命題であった日本にとって、この機能はその発展に大いなる貢献をした。一方商社側はその業界の期待に応えるために優秀な学生を高額な給料を保証することで集め、また自社での語学留学の制度を整え、世界各国の市場とのアクセス体制を実現したのである。その後日本の製品が世界市場より認知さ れ、貿易黒字が恒常化して多額の外貨を所有するようになると、この外貨を利用して、商社のこの機能は日本が必要とする石油や金属資源の確保やまた航空機の代理購入やリース業などへと進出していく。ある商社では南米の大国の国営航空会社の70%以上の航空機を所有しており、それを航空会社にリースして、そのリース料で儲けるといった離れ業を行っていたのである。
愕然として自分のデスクに戻ると、回りからささやく声が聞こえた。それは受けたショックに追い討ちをかけるかの話であった。つかの間の安寧を与えてくれた日本政策投資銀行の資金提供の話だが、実体はどうも異なるようだ、それは同行が提供するのは債務保証だけだそうだ、実際に資金を提供するのは米国のウエスタンという名のヘッジファンドというのである。ヘッジファンド!!なんだ、それは?中期国債ファンドなら知っているがヘッジファンドとはなにものだ、 2002年10月今まで新聞の財務・経済面だけの話と、思っていたヘッジファンドが、突然我々に襲い掛かってきた瞬間である。当時バイオサイエンス社は年間700億円程度 の資金の提供を両親会社より受けていた、それをそっくりこのウエスタン社が肩代わりするというのである。ただし金利は市中金利、まったく優遇はない。 したがい今後は金利の鞘抜き営業はできないので、自らの甲斐性で儲けなさいということであった。あわせて新社長の発表が立て続けにPC内の掲示板には、米国の某大手化学会社のトップを歴任した人物で、私でも名前くらいは知っている有名人の名前が記載されていた。ただし足が不自由なので経営はテレビ会議で行うとのお達しであった。さすがに本場米国のトップは違うと感心したが、果たしてテレビ会議で仕事はできるのかと疑問にも思った。結果として2002年9月より 日本綿業社株式の55%、東棉実業社35%、残り10%をウエスタン、また運転資金はウエスタンが全額提供する新体制が始まったのである。なぜこのときウエスタンが 10%しか出資しなかったのかについては後で分かる。それにより10%のマイナー出資の会社が全経営権を握るという我々の常識から見るとまことにおかしな外資系新会社が誕生したのである。
それから会社の中は大きく変わっていた、突然文書の英語化がすすみ、米国式の英語がどんどん移入された、それは英語には強いとされている商社マンにも戸惑いを与えるものであった。ちょうど2001年末に破綻をして、大騒ぎをしていていた米国エネルギー会社のエンロン事件で出てくる聞きなれない単語が続出した。また経営側は何を言っているのか説明してほしいと質問をするとそれなら自分で勉強せよとの回答のみで彼らだけでことが進んでいった。また提供資金がどれだけだからお前の部門はこれだけ利益を上げろといったノルマも公然化してきた。一方では毎月のように米国から新しい取締役が派遣されてきた。もちろん正式には公表されなかったが、彼らの給与は年俸で最低でも5000万円、多くは一億円以上という高額であった。金額を聞いて驚きこそすれ、自分の置かれている立場についての整理がつかずに悶々としてすごす日々が続いた。その後決定的なことがおきた、足が悪く、実務ができないと悟った社長は名目上の会長職 となり、欧州からからバリバリのスイス人が新社長として就任したのである。これにより我社は人事的にも完全に外国人が経営する会社となったのである。 2003年10月のことである。
ここまでの経緯で賢明なる読者の方はお分かりと思うが、日本政策投資銀行の役割は何であったかということである。それは傷ついた日本の会社及び従業員の雇用を守るということではなく、なんと外資の金儲けを国民の税金を使って支援するということだったのである。これこそが小泉、ブッシュの両首脳が合意した投資促進イニシアティブの本質だったのである。同行のトップは代々財務省からの天下り役人である。個人は上記ファンドの経営者なみの報酬をもらい次の赴任先を探し、渡りと言われる天下りを繰り返す、その結果やっていることといったら、苦しんでいる国民の救済ではなく、それを食い物にする投資銀行やヘッジファンドの手助けなのであ る。これは国家的な詐欺行為といわれてもおかしくない事態である。
DCF法:Wikiによればこの評価方法の本質は、ある収益資産を持ち続けたとき、それが生み出すキャッシュフロー(現金収入)の割引現在価値をもって、その理論価格とすることにある。たとえば、株式ならば企業の将来キャッシュ・フローを一定の割引率を適用して割り引いた割引現在価値をもって理論株価とする。評価方法の種類別では、インカムアプローチと呼ばれる方法に区分される。 難しいことは別として、この方法は今後10年間当該に事業でどのくらいの現金収入(利益)をもたらせるかを計る指標である。これを元に会社や会社内の各事業の採算性を図り、事業の価値を決めるものである。
2002年商社業界はDER(有利子負債比率)の削減に追われていた。即ち自己資本に対する負債の総額を減らすために、自らが所有している不動産や 株券などをどんどん売却して借金を減らすことを求められていたのである。さもないとまたムーディーズやS&Pの若者が貴社の格付けを投資不適格まで落としますよと脅すのからである。投資不適格とは投資対象としては危ない会社ですよと烙印をおして、投資者に注意を伝えるものでこれにより社債や短期社債(CP)などの発行ができなくなることを意味する。これは取引先金融機関が貸出資金の引き上げを行っている中、自社にての資金調達の手段を遮断することであり、会社が劇症貧血で死亡することを意味する。しかしながら当時の株安、不動産価格の低迷はこれらの行為を困難なものにした、もともと安い株式市況では大量に所有株式を売却しても手にできるキャッシュは限られている、それだけに会社の再建は難渋を極めていた。そんな困難な状況下、その局面を一挙に打開する方法として上記の資産 価値計算方法は利用された。即ち古くからミサイルからラーメンまでと形容されてきた総合商社の業務範囲は多岐にわたる、会社全体としてはDERなどで負債比率が大きかったりしても個別の事業をつぶさに見ればまだまだ十分に収益性が上がる優良事業は多くあったのである。会社存続に四苦八苦している商社の経営陣は、ついに自らの手足を第3者に売ることで生き延びる対策をとったのである。またこれを支援する理論が米国から渡ってきたDCF法なのである。
化学品事業は両親会社ともに売上高こそ財閥系大手に及ばないもののその収益力は大手と並ぶ主力事業であった。両社とも両部門の従業員の半数である文系卒の社員でも一通りの化学構造式やその用途などの知識を持ち合わせており、国内外のメーカーの技術者とも十分に渡り合える能力を持っていた。一方大手は投資を主体 とした石油化学に特化しており、両社はそれとは別のいわゆる精密化学品といわれる川下の事業を得意としていた。そこで会社存続に窮していた両社の首脳はこの虎の子とも言える事業に対してDCFの手法を応用して、外だしすることで困難な状況を打開しようとしたのである。即ちDERの比率が 8倍から10倍との新聞発表により両社ともに更なる格付け引き下げの危機に瀕していた。また所有資産の売却も滞っており、二進も三進も行かない状況を打開するために、DCF法を用いて同事業の将来価値(今後10年間の事業価値)を計算し、その事業を人材も含めて資産として第3者に販売し現金を確保することを考えついたのである。これは現実には、書面上のみの扱いであり、当座しのぎに過ぎない、しかしながらこれは自社が生き延びるための方策として最後に手にした禁じ手だったのである。結果はカンフル剤としての効果はある程度示した。当時株価が50円と額面を割るほどに低迷した日本綿業社また同じく100円割れを目前にした東棉実業社ともにその事業を両社で新たに設立した、バイオサイエンス社に譲渡することで、日本綿業社は600億円、東棉実業社は400億円という売却益を手にすることができたからである。またあわせて両社は新しく生まれたバイオサイエンス社に今まで同様事業資金を提供し、両社から出資比率に応じてその金利と配当金を受け取ることになったのである。しかしこれには大きな問題があった。即ち今後10年間に渡って果たしてこの事業が現在のように発展し続けることが可能なのか?またすでに危機に瀕している両社からの資金提供がもくろみ通り継続するのか?この最も重要な点をあきらかにしないままの見切り発車だったのである。特に両社が直面している危機は両社が手にした、たった数百億円では切り抜けられる状況にはなかったからである。またそうして会社の都合で、外だしされた優秀な社員達が新しい会社でも前向きに働き続けることはできるのであろうか?多くの疑問を残したままでの船出であった。
しかしながら運命はすでに両社ともに万策尽きて、消滅する方向で進んでいた。両社の自力存続への努力はむなしくも果たせず、東棉実業社はUFO銀行のもう一つの商社日商酒井社との合併、また日本綿業社は東海自動車の御用商社豊橋通商への吸収合併へと進むのである。2003年のことである。
競業避止(きょうぎょうひし)義務: 競業避止義務とは、会社と競業関係にある会社に就職したり、競業関係にある事業を行うなどの競業行為をしてはならないという義務をいいます。労働者は、在職中は、信義則上、使用者の利益に著しく反する競業行為を差し控える義務があるとされています。しかし、退職後においては、職業選択の自由(憲法第22条 第1項)があることから、一般的に競業避止(きょうぎょうひし)義務を負わないとされています。これに関しては、労働者が習得した知識・経験・技術を退職 後どう生かすかは各人の自由であり、特約なしにこの自由を拘束することはできないとする判例があります。 http://www.yamaguchi-dennou.com/
2003年10月新しい社長の元で、バイオサイエンス社は装いも新たにした。まず大きく変わったことは人事部長がW氏に代わったことである。W氏の経歴は有名国立大学の法学部を卒業後、日本企業、及び複数の外資企業の人事担当を経験し、人事のプロとの触れ込みであった。突然の交代で社員は戸惑いながらも日々の仕事に忙殺されていた。しかしながらこの人事の背景には会社の運営方針の大転換があったことは当時の社員では知る由もない。会社は収益向上及び巨額な米国人取締役の報酬を確保するために給与体系の大規模な見直しに着手した。即ち商社時代からの高給をそのまま享受していた、社員のリストラがその対象であった。ヘッジファンドの目には商社という業務形態についての認識はほとんどなく、誰でも対応が可能な、単なる商品の横流しブローカー的な理解であったように思う。スイス人の社長は今回が2回目の日本法人赴任である、以前あるメーカーの日本法人の社長をしていたとのことである。ただし日本語はほとんど解さない、その彼が赴任して1ヶ月くらいに口に出した感想として、この会社の日本人スタッフはすごい、皆程度の差はあるにしても英語を解する。このコメントを聞いて私はびっくりした。この御仁はこの程度の知識で社長をしているのか?実際総合商社では行き届いた英語習得システムがあり決められた程度の英語ができなければ昇進できないシステムになっている。それ故社員は必須科目としてしっかりと英語を勉強している。だからこそ海外業務ができるのである。しかしこの社長はこの点すら理解していなかった。一方W部長は従業員に有利であった福利厚生や出張の際の日当など次々に手を加えた。曰く高すぎると。特に海外駐在員の処遇については徹底的に削減を目指した。そもそも商社の駐在員の待遇は他の業界にくらべて際立ってよいとされている、それは古くは商社の在外事務所には大使館や領事館を資金不足で置けない日本国政府の代替機関としての性格が有ったからである。商社はビジネスのあるところにはどこでも事務所を設立した。それはアフリカや東南アジア密林の中などどこでも制限はなかった。そしてそれぞれの地で日本人の代表としてビジネスに従事したのである。そして時として政府機関の代行の役割も果たして来た。その際の待遇を決めるにあったって、指針としたものに外務省の在外公館の待遇規則がそのまま適用されたのである。結果としてその仕組みがそのまま現在まで提供されている。しかしながら戦後ビジネスでの人々の往来が活発になると戦争の荒廃から立ち直った日本も含めて、発展途上国でもその生活水準も劇的に向上した。その結果新しく海外に事務所を持つメーカーなどの駐在事務所の待遇は日本とほぼ同等となりここに乖離が生まれたのである。W部長は世界の状況が変わっても相変わらず古い体系の処遇を提供していることに目をつけ、徹底的に駐在員の削減及び現地社員による代替をすすめていった。
これらの一連の動きにより、社員達は徐々にではあるが、会社は今の社員を必要としていないという、後ろ向きの感覚をもつようになった。果たしてこの会社にこのままいてよいのであろうか?そうなると若手社員の間に転職ブームが突然広がった、小泉政権が安定し新たな求人が増えてきたからである。またこれにつれて同業他社からの人材引き抜きも活発化した、35歳未満のバリバリの有経験者は格好のターゲットとされ、毎日のように転職の報に接した。ところで表題に戻ろう、競業避止あるいは競業禁止といわれる雇用契約の条項のひとつである。中国やドイツでは法律として認められているが日本やアメリカでは認められ ていない。しかし従業員の了解が得られるのであれば契約を結ぶことそのものは違法ではない。具体的にどのようなとき会社側はこれを結ばせるのであろうか? 例えば課長以上の管理職は事業の仕組みや人材面での知己が多く、仮に今の会社を辞めてライバル会社に移れば、元の会社の営業に大きな損失を招くことが予想される、したがい通常であればこれらの社員が辞めるにあったっては、善意の合意として競業避止契約にサインを求めるのである。これにより刑法上の犯罪には該当しないが、民事上の損失について会社は補償を要求する手段をもつことになる。最も競業避止自体日本政府は認めていないので裁判になった場合全面勝訴は難しいが程度によっては、部分的補償あるいは競業行為の抑止力にはなるはずである。日本の企業は元来終身雇用をその前提としており、仮にリストラをする場合でも 終身雇用を受けたと同等の退職金を上積みして、その功労に報いてきた。一方退社した社員は競業禁止については暗黙の了解となり、決して競業するようなことはしなかった。これが日本の会社経営がうまく回転した最大の理由であると思う。しかし外資はそうはしない、高給の商社出身の社員に少しでも多く辞めてもらい、かつその退社に当たりできる限り出費を抑えるのである。そのための手段としてはっきりと課長以上の幹部社員に対しての競業避止契約への署名を要求した。これにより家庭に進学を目指す子供の出費が重なる層が割りを食うことになった。辞めたくても辞めることができないのである。また意を決して、辞めたものは簡単に次の職場を見つけることができず、また社内にてもその存在を否定され左遷され、結果として大幅な減給を受け入れざるをえないことになった。こうして会社 には新たに低い給与水準で雇った社員の比率が高まっていた。
当時辞めた同僚の中にはたまたま中国の現地法人の社長をしており、中国法により競業避止を法的に適用された社員もいた。結果として会社は社員にとって去るも地獄残るも地獄といった様相を呈してきたのである。ところでW部長は2005年の初頭に2年間の契約終了をもって転職した。聞くところによると最近新たにヘッジファンドに買収された、会社に移ったそうだ。次の2年間も期間限定で高給を享受し、外資の意向にそって好きなように社内規則を変更しリストラを進めるのであろう。こうしたプロが日本でも確実に育っている。それだけ日本は変わったということであろう。面倒くさい人事問題は日本人を利用して解決する。これは外資が最も得意とするところである。こうしてバイオサイエンス社に発足当時いた、140人の商社から移ってきた社員は今では20人に減っている。人件費削減という面ではヘッジファンドの思うとおりにことが進んだのである。
早期退職優遇制度;財団法人労務行政研究所のWEBによると下記の通り定義されている。定年前に退職する社員に対して退職加算などを行う制度で企業において恒常的に実施されているもの。またそれと類似した制度に雇用調整など経営上の必要から、定年前の社員に退職金加算等を示して退職者を募る制度で、 期間を定めて時限的に実施されるもの。一般的に45歳、或いは50歳を区切りとして、早期退職を募り、それにあわせて退職金を加算する制度である。しかし 実際には会社側はこの制度を利用して、会社を辞めた後も本人に対して、競業避止を守らすための手段として使われている。
バイオサイエンス社の設立にあわせて、同社は東棉実業社の連結対象子会社から外れた、そしてバイオサイエンス社に移る社員はどう言う訳か出向ではなく、転籍ということになり、即ち長年在籍して来た、東棉実業社を一旦退職することになった。その際上司からは転籍をしても実際には現在と変わらないから安心してほしいとのコメントがあったことを申し添えておく。出向ではなく、転籍となった背景には経営が苦しい東棉実業社のトップがこのバイオサイエンス社のプロジェクトを利用する形でひとりでも多くの退職者を募りたいという親会社の都合により、決まったことであった。一方 でおかしなこともあった。当時東棉実業社は会社として積極的に早期退職優遇制度を用いて、45歳以上の社員を退社させていた。これにより人件費の負担を低減させるためである。そこでこのバイオサイエンス社のプロジェクトにもこの制度を適用したのである。これは矛盾している。仮にこのプロジェクトが、当初我々が認識していた通り、 DCFによりしっかりと事業を評価してその価値の裏づけが得られたプロジェクトであり、経営陣が自信をもって事業を推進するのであれば、45歳以上の社員に対してのみ、特別に早期退職優遇制度を適用する必要はないはずだからである。しかしながら実際は適用され、これにより45歳以上の社員は退職優遇制度の加算金も手にしたうえでなおかつ次の職場における現在の地位と報酬の保証を得ることになった。一方当時45歳に満たない社員には、当然のことながらこのような制度に恩恵に浴することはなく、結果として世代間で待遇の格差が生まれた。即ちすでに早期優遇制度によりしっかりとした報酬をもらい十分ではないが不安なく、過ごすことのできる45歳以上の社員と、先行きがわからないが、今を一生懸命に生きるしかないそれ以下の社員と大きく分かれたのである。これを知りえた時点で多くの社員は、自分だけ良い思いをしている上司や先輩に裏切られたことを悟るとともにこの会社の将来に大きな不安を持つことになった。結果はすでに述べたように、35歳以下の社員は引く手あまたの中で転職をしていった。一方40歳を超えた社員は、社会では転職の対象としては考えておらず、ほとんど声がかからなかった、また彼ら中堅及び初級の幹部社員は会社から競業禁止を求められ、動こうにも動くことができなかったのである。そしてこの世代の社員の受難は続く。一方ですでに早期優遇制度の恩恵を受けた上司達は自分の立場をより強固にするために、経営陣側につき、ヘッジファンドの意向そのままにコンプライアンスを重視するというお題目のなか、元の部下に対して押し付け、監視を強め商権の流出を防ぐ役割を担うことになったのである。これによりつい最近まで上司と部下の関係であった社員同士の関係が、監視するものとされるものの冷めたい二極化した関係になり、社内の空気は一挙に怪しくなった。誰もがかつて持っていた会社のためにという崇高な理念のために仕事をすることはなくなったのである。このことはながらく日本株式会社の根幹としてしっかりと根を下ろしていた終身雇用の制度が音を立てて崩壊した瞬間でもあった。金の力により人の魂が買われてしまったのである。
結果として残留した多くの社員の働く意欲はますます減退し、気力のあるものは他の会社を探し、そうでないものはただ時間に流されるままになったので ある。一方で会社側は自己都合でやめる社員は大歓迎としてより多くの退職者がでることを望んでいた。また時として小規模の優遇政策を用意して退職を後押しした。 またそれでも辞めない無気力社員には降格や担当換えを行い、一刻も早く自発的に退社することを求めたのである。しかしその付けはすぐに業績に反映されるようになってきた、優秀な社員が減り、業務経験のない社員が増加するにしたがって、リストラで得られる利益よりも、社員の流出により失う利益のほうが大きくなってきたのである。しかしながらこの収益減少という現実を前にしてヘッジファンド側は自分の責任は一切認めずにすべてを、DCFを作成した、両親会社の事業計画が不正確であるという理屈で、その責任を一方的に親会社に押し付けた、またこれに対して両社ともに何も反論できずにいたのである。そうして無為の時間のみが経っていった。
当初まとめられた事業計画では、設立時から5年目には、バイオサイエンス社は晴れて株式市場に上場して、両親会社に莫大な株式上場益をもたらすはずであった、しか しながら実際には、その5年目の2006年には過去4年間との事業計画との間に生じた大幅な乖離を、累積損失の減損処理という形で調整せざるをえなくなり、株式上場どころかその存続すら危なくなっているのである。これが実体であった。
持株会社(もちかぶがいしゃ):他の株式会社を支配する目的で、その会社の株式を保有する会社である。ホールディングカンパニーとも呼ぶ。持株会社は一連の構造改革で新たに認められた会社形態である。従来は二つの会社が合併するときには必ず一方が存続会社となり、対等合併という形式はありえなかった。しかしこの制度が認められることにより対等合併が実質的可能となり、世間体を気にすることなく、企業再編ができる手段として活発に用いられている。
バイオサイエンス社の経営権がヘッジファンドであるウエスタン社に移り確実にリストラを進めている最中、両親会社はもっと大きなうねりに巻き込まれていた。東綿実業 社の系列の銀行であるUFO銀行は度重なる金融庁からの勧告により窮地に立たされ、何とか生き残りを図るために新たなる企業再編のパートナーを探していた、一方すでに再編をし終えた、住友銀行と三井銀行は新たに三井住友銀行を立ち上げ、その勢力拡大にUFO銀行の取り込みを狙っていた。それにより最大手の東京三菱銀 行との間で熾烈なUFO銀行の争奪戦が繰り広げられていた。一方最も小さな金融グループであるUFO銀行グループ内に商社だけで3社が存在することは異常であり、この再編も大きな課題となっていた。UFO銀行の系列商社といってもその成り立ちは複雑である。日本綿業社はUFO銀行が吸収した東会銀行系であるのでその位置づけは比較的はっきりしていたが、一方のUFO銀行の主流である旧三善銀行には東棉実業社と日商酒井社という二つの総合商社があった。日商酒井は旧鈴本商会の流れを組む名門であり、規模では東棉実業社より大きい。しかしながら経営的にはより多くの負債を抱えており、二進三進も行かない状況が続いていた。 したがい自然な形で、UFO銀行主導で東棉実業社と日商酒井社の合併が協議されることになった。日商酒井社は以前からの野武士集団の商社として有名で、強烈な個性を持った社員が集まっている会社であった、またその個性により世界一の米国航空機会社の対日代理店として米国にもしっかりとした 事業基盤をもっていた。また機械部門を中心に重工業や天然ガスなどの資源にも強く一時は最大手に追いつく勢いを有していたが、バブル時の過剰投資が逆風と なってからは一挙にその存在が危うくなり、UFO銀行にとってお荷物となっていた会社である。一方堅実を旨とした東棉実業社は負債こそ少ないが将来に渡っての事業資産が十分でなく、総合商社として生き残るために両社の合併が最良であるとの考えで衆目は一致していた。結果として2003年4月に両社で持株会社東日をたち上げ、持ち株会社方式による実質的な合併を果たした。しかしそのためには大規模なリストラを求められることになり、最盛期には両社の従業員を合わせると1万人以上いたこともあったが、新会社はわずか2000人のスタッフで再スタートをすることになったのである。一方の日本綿業社には一時的に東日の事業統合に参加するとの憶測もあったが、結局それは実現せず、日本綿業社は系列の東海自動車の金融部門が発展した商社豊橋通商に吸収合併されることになった。豊橋通商は実力世界一とも称される東海自動車の発展とともに順調に規模を拡大していた。そして2004年の日本綿業社の吸収合併により豊橋通商は、念願の総合商社入りを実現したのである。
このようにして、金融再編の余波である、3商社の混乱は2004年を持って収束した。そして新たに発足した東日は順調にその業績を回復している。特に旧日商酒井が持っていた資源関係の商権が中国を始めとするBricsの資源需要増大を見越しての価格高騰で、その業績回復 に順調に寄与している。一方豊橋通商も東海自動車がその販売高世界一を伺う情勢下、その機能を高め順風をうけ業績を発展させている。UFO銀行は最大手の東京三菱銀行に吸収され、日本の金融グループは3つに集約された。いま東京三菱銀行では旧UFO出身の社員のリストラが猛烈に進んでいると聞いている。銀行業界でも相も変わらず大企 業は企業自身の存続しか考えず、一従業員の雇用などを気にかけていないようである。
2006年末にバイオサイエンス社社員にとって衝撃的な発表があった。それは大株主の豊橋通商が突然事業構成(ポートフリオ)の変更を打ち出し、精密化学品事業の見直し、バイオサイエンス社の経営からの撤退を打ち出したのである。結果として2001年に日本綿業社が得た事業統合による事業譲渡益の半分を損失として計上し、設立時の半額で日本綿業社の持分である55%をウエスタン社に譲渡したのである。またその6ヵ月後、東日社も同様に自社の持分である35%すべてをウエスタン社に売却したのである。売却額は市場の混乱を見越して発表されなかったが、これも日本綿業社と同じく半額程度であると市場オッチャーは見ている。
結果として当初戦略的事業統合といわれたバイオサイエンス社は当初予想だにしなかった、100%ウエスタンの手におちるという結果になったのである。ウエスタンは当初作成したDCFについて疑念をもっており、株式の取得による経営権の確保は考えておらず、事業資金の融資をすることを条件としてわずか10%の出資でその経営権 を獲得した。その後バイオサイエンス社の経営がうまく行かなくなると、これをDCFの評価方法が不正確であったこととして、結果として日本綿業及び東棉実業の後継会社である豊橋通商と 東日社に対して認めさせ、減損処理を受けさせその上で、当初の約半分のコストでバイオサイエンス社の全資産を自分の物にしたのである。誠に巧妙且つしたたかなやり方であった。それだけに両親会社が支払った代償は大きかったのである。
バイオサイエンス社について話そう、同社のスイス人の社長はいまだにその経営権を持っている。しかしウエスタンの彼に対する評価は敗戦処理に等しく、彼は簿価が下 がり、売りやすくなった事業の切り売りを確実に実行できるように、より一層のリストラに取り組めとの指示を受けている。一方、本人はバイオサイエンス社退社後を考え、自らの天職として考えている環境関係のビジネスを立ち上げるために、すでに準備を始めている。当初両親会社からの140名でスタートした社員は現在10名を残 しているのみであり、他はすべて退社している。ちなみに設立当時の社員の内、若手を中心とする50名が同業他社に事業ノウハウとともに移った。管理職の30名のほとんどは競業避止の制約により、すべて異業種に移ったと聞いている。そのうち起業し独立したのはわずかに一名だけとのことで、長年サラリーマンとして働いたものが起業することの難しさを改めて感じた。20名は嘱託などの特殊資格で豊橋通商あるいは東日社に再雇用されたとのことである。教育が必要な 適齢期の子女をもつサラリーマンにとってまず優先されるのは子供教育の保証である。それだけに豊橋や東日の若い管理職に使われる不安定な彼らの立場に 同情を禁じえない。最後の残り30名については今のところ不明である。これがかつて商社は人なりと言われた会社のなれの果てなのである。
ノンバンク:融資は行うが預金の受け入れはしない金融機関である。資金調達は銀行からの借り入れや他の金融市場(社債や増資など)で行う。Wiki より。アメリカの企業年鑑で総合商社はノンバンクのカテゴリーに入っていると聞いている。即ち他人の資金を借り受けてそれを貿易や投資という形をとりながら、実質的に融資をして事業を進め利益を得る金融業の一形態としている。
2007年5月末東日社の新社長は株主総会で誇らしげに1997年の東棉実業社以来の10年ぶりの復配を発表した。政権は小泉政権から安倍政権へと 代わり、日本の経済も安定した中での完全復活といえる。また昨年一昨年と償却を続けてきた金融機関からの優先株の処理も順調に進んでおり、経営は安定してきた。経営危機が叫ばれた2001-02年当時のことは今では想像することすら難しい状況となっている。日本の金融再編も公的資金の返済がすすみ、すでに終焉を向え各社ともに新たしい時代を目指して活気が出てきている。
ところで私であるが、相変わらずバイオサイエンス社の営業課長の席に座っている、この2001年以来8年間に渡って、会社の変遷を通して、日本経済の激動を見てきたが自分自身は、代わり映えはしない営業課長である。課長への昇進時は最年少として将来にいくばくかの期待をもっていたが、今はまったくその気はない達観した状態で万年課長を謳歌している。ではなぜ残ったのであろうか、それは居心地が良かったからである。スイス人の社長とはなんとなく気心が通じ合うものがあった。それは彼がちょっとした拍子に見せる人なつっこい笑顔や家族のことを話す幸せそうな姿に、この人は、本当は心根のやさしい人であると感じていたからかもしれない。一方で彼が公式の会議などで見せる数字に対する執念もすごかった、目標達成に向けての真面目な姿は、海の向こうからきたビジネスマンに対して国籍は関係なく尊敬している。もうひとつそれはウエスタンが経営を握ってから、精神的な負担が軽減されたからである。即ち以前のように闇雲に売上高を求められることはなくなったのである。もちろん決められた収益は出さねばならないが、それをやり遂げれば、元の会社のように無制限ともいえる売上高の増大は私の仕事ではないとして求められなかった。それによりプレッシャーが軽減され既存の仕事にはより細心に対応することができたと思っている。また我社がもっている多くのプロの人材とも楽しく仕事ができたことも理由のひとつかもしれない。それぞれの分野のプロとは会社などとは関係なくどこでも生きていける能力を有している人であることが、よく分かったし、仕事を通じての個人的なつながりも広がったように思う。しかしながら、会社の業績は目に見えて落ちてきた。最近も次の早期退職優遇制度が発表された。精神的に唯一のよりどころとなっていた、 東日も最近弊社の経営から撤退した。私自身もそろそろ潮時かと考えている。これからは事業の切り売りが起こるであろう。豊橋通商・東日の撤退、 また強化されたリストラの実行で会社はかなり身軽になっているはずだ。興味を示す同業他社は多いと思う。
ところでこの8年間に渡る、動乱の本質は何であったのだろうか?また両親会社が多額なコストと多くの社員の退社という代償を払っても求めたものは何であったのだろうか?米国政府が日本に対し、ウオール街の国際金融資本に向けて門戸を開けと圧力をかけ、日本政府はUFO銀行を解体させ、その傘下のグルー プ企業を外資への貢物として用意してこれを迎えた。その中でも必死で会社の存命を図った、その方策が自社の事業の切り売りであり、バイオサイエンス社の設立であっ た。それがわずかながらも貢献したのか、結果的には、幸運にも両親会社ともに名前と形は変わったが、なんとか倒産破産は免れ、現在まで生き延びている、その意味ではバイオサイエンス社を通じて行われた一連の施策は効果が有ったといえるであろう。しかしながらこれにはすでに見てきたようにこのために多くの資産と貴重な社員の損失があった。結果としてこの動乱に巻き込まれた社員は外資の犠牲者として数々の運命に翻弄された。多くの友人が退社し、彼らの生活の安定が脅かされた。また給与も減った。このことは忘れてはならないと思う。一方で我々は終身雇用の安定した環境では得られない貴重な体験を通して、海外の資本主義社会の弱肉強食の一面を垣間見ることができた。それは人間とは元来弱いものであり、その心は簡単にお金で買われてしまう弱いものであるということ、またそのお金がどのようにして生まれ、それを今誰が持っているかということである。
ウエスタンは両親会社がにわかづくりで作成したDCFによる事業計画には一切の信用をおかず、バイオサイエンス社を事業投資の対象ではなく、あくまで資金運用のツールとして見ていたようである。結果として運転資金を貸し出すことで、その金利を得ることで必要な利益を確保していた。いったい我々のような小さな企業でどれだけのお金が動いたのであろうか?最初の両親会社の事業譲渡益は1000億円であった。そしてその後の営業活動における、運転資金としてウエスタンが提供した融資の総額は、年間の売上高を1000億で資金回転率を3ヶ月とすると一年で3000億円、それが8年だから融資と投資の運用総額は2兆円を超える、これだけのお金を動かせただけでも外資は満足しているのではないだろうか?実際それぞれに相応の金利の裏づけがあり、これが外資を潤してきたからである。2兆円の年利3%の利鞘があるとして600億円以上の金利収益は得られたのではないだろうか?
立ち直った東日は過去の栄光よ再びとばかりに同じ仕組みの中で売上高至上主義に走るのであろうか。金融ビックバン以前の日本では、資金は基本的に国内という枠の中でのみ流通していた、しかしビックバン後、外資銀行やヘッジファンドにも門戸が開放されたことで、資金の供給量はすごい勢いで増えている。そして今では、この世界の余剰資金の総額は 日本や米国が大量に発行した国債をもとにして大量に発行された、デリバティブ、そしてそれを限りなく増大させるレバレッジという借金に借金を重ねる、魔物により、我々の想像をはるかに超える、巨大な金額となっているといわれている。日米両政府が国債の発行を通じて通貨を供給し、それを受け入れる投資銀行が数々の正体不明なデリバティブを開発し、それをレバレッジで運用する限り、それを消費する新たなるターゲットを開発しなくてはならない、その需要の満たすため運用先を実業の中で創出するのが商社の役割なのかもしれない。かつての商社の資金の供給先は系列銀行だけであった。しかし今は多くの外資銀行と配下のヘッジファンドがその機会をうかがっている。その結果商社には多くの外資や外資の委託を受けた資産管理銀行が新たな株主として名を連ねている。果たして復活した日本の商社は外資が要求する無限大ともいえる資金を使いこなすことができるだろうか?日本は今、三角合併が解禁され第2次の外資の襲来が予想されている、またすでにブルドックソー スやサッポロビールなどヘッジファンドが直接出資している会社も多い、今後これらにも我々と同じような災禍も含めていろいろな困難に遭遇するであろう。その際人々には日本人に本来的に備わっている経験と智恵を発揮して乗り切ることを祈るばかりである。
最後に我々に降りかかったこの8年間の混乱は、既存の安住システムをぶち壊し、失業や不安をもたらした。しかしその動乱の中でお金の持つ本質を理解することができた、我々は、これからの人生でこの経験をしっかりと生かす義務があると思う。どう活用するかは我々次第である。これからはお金に翻弄されることのない、地に足をしっかりとつけた人生を目指して行きたい。
終り。
注:上記はすべて筆者の創作です。登場する民間会社名は架空のものです。
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Comments
Taroさん
小生プロブに載ってるのを見たのはかなり昔に天流星さんのものを見て以来2回目ですが、良くこれだけのVolumeを揃え掲載されました事大変関心しました、外資ストーリ以外の広告等も含め。
外資襲来 M&Aの時代 V.183を読ませて貰いましたが登場人物中には極一部の者だけ生き残り会社を駄目にして生き残って行く
やり方が今は日本人の中にも結構おり現実に斯様なやり方ができるのは外資の基で仕事をした人間で無いと実感が無いでしょうね。
唯、Headge Fundの様な実業を無視した金が全てを支配する様なやり方は未来永劫には継続できず、あと後半年かそこらの間に自身の首を占める事になり大損している実態も出てくると負け惜しみではなく小生の如く株や投資の経験を持つ様な余裕が無く日常の仕事のみで生活してきた者が見た時に気分的はすっきりするかも知れません、人間ですので労力を然程使わず儲け過ぎは心情的に許せません。
持てない強みでいつも仕事以外損得を考えたりの精神的に葛藤や痛手は有りませんが企業や、公共機関、年金に投資して共倒れで公的な年金が目減りすることだけは絶対にゆるされぬが実感です。
人間が行っている事にて欲も希望もあるのが当然にて、同じ様なことが将来又起きる可能性は誰も否定できませんが
又、世の中先の事は誰にも分からぬが禅宗など仏教の教えに予断を持たずにてまあ風の吹くまま気楽にやって行こう様ですが
先を開拓していくて少しでも良くして行こうと云う欧米流の考え方も否定はできません。
それでは一読者より
Posted by: JM | October 25, 2008 at 21:49