金融恐慌の次にくるもの Vol.184
産経ビジネスアイのWEB版で面白い記事を目にした。ドイツに住んでいたころ、首都であるベルリンには何回か、訪問したことがあるが、先進国それも経済大国の首都としてみた場合、東京やロンドン、パリの華やかさとはまったく違う感覚の都市であり、また未だに東ベルリンと、西ベルリンにはそれぞれの雰囲気の違いもあり、その意味では印象が深い都市であった。今回の金融危機については、米国大統領選でオバマ新大統領が決定したことで、米国が今まで主導して来た、新資本主義、金融立国に対する評価はそれを否定するものとして定まったかに見える。そして今次の世界のあり姿を模索する必要を感じている。まずは同記事を引用したい。
貧しき街に失うモノなし 金融危機とは無縁のベルリン
ベルリンのカール・マルクス散歩道で屋台の果物店を営むホースト・ポーラックさん(54)は、金融機関の破綻(はたん)やリセッション(景気後退)の騒ぎをまったく身近に感じていないそうだ。「株式所有者は大変だろうが、われわれの生活に変化はない」という。数多くの芸術的なバーや小画廊に彩られた人口340万人の都市、ベルリンのクラウス・ヴォーベライト市長は同市をかつて「貧しくとも美しい」と称した。ただ、金融危機が世界に飛び火するなか、ベルリンだけが他の都市と比べ貧しいとはいえなくなっている。
◆もとより失業率2倍
パリでは飲食店の倒産が相次ぎ、ロンドン市民は16年間で最低の不動産価格下落に苦しんでいるが、もともとベルリン市民に失うものはほとんどない。失業率は国内平均の2倍。公共事業が主要産業で不動産ブームとも無縁。金融危機が起きてもベルリンに影響などないのだ。ドイツ銀行のエコノミスト、トビアス・ジュスト氏(フランクフルト在勤)は、「ベルリンへの金融危機の打撃は比較的緩やかだった。他の都市のような極端な影響はない」と語る。ベルリンは波乱に満ちた歴史を街の魅力として売り物にしている。1920年代には女優マレーネ・ディートリヒや理論物理学者アインシュタインがベルリン を活動拠点としたが、のちにナチスの迫害を逃れて亡命。ドイツの第二次世界大戦降伏後、60年代に「ベルリンの壁」が建造され、89年の崩壊まで東西を隔 てる冷戦の象徴的な舞台となった。
◆代表銘柄の本社なし
だが、ベルリンの産業基盤は戦時下の破壊と冷戦時の分割以降、いまだに再建できていない。現在、ドイツDAX指数を構成する代表銘柄30社のすべてが、 ベルリン以外に本社を置いている。99年にボンから首都機能が移転されたベルリンだが、国平均を上回る失業率(当時16.5%)は改善に至っていない。ベルリンの状況は「金融危機の前と後で、あまり変わっていない」と、市の東部にあるプレンツラウアー・ベルク地区で北欧家具を販売するステン・ラスムッ センさん(48)は語る。「ハンブルクやミュンヘンは大変なのかもしれないが、ベルリンはもともと芸術家の都。金融関係者の関心は薄い」と説明する。ベルリン市内には170の美術・博物館があり、古代都市バビロンのイシュタル門や古代エジプトの王妃ネフェルティティの胸像が有名。だが、海外の各メ ディアはベルリンのストリートファッションやうらぶれたクラブ、ローブローアート(低俗芸術)にも注目している。ニューヨーク・タイムズ紙は2006年、 ベルリンは1980年代のニューヨークに匹敵するとし、「過渡期の都市のみが持つ創造力が、空気から伝わってくる」と伝えている。 ドイツで最多の購読数を誇るビルト紙(今年、本社をハンブルクからベルリンに移転)は、ベルリン好きで知られる米俳優ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー夫妻が市内のバーやレストランを楽しむ様子を取り上げている。 セントラル・ミット区で現代作家の抽象画を扱う画商のタンジャ・ゲルケンさんは、金融危機による売り上げへの影響は感じないという。「ニューヨークの画廊は打撃が大きいと思うけれど、ベルリンではほとんど影響がない」
◆売れぬ人には好立地
世界経済の最前線で活躍していなかったベルリンは、売れない芸術家や音楽家たちにとって格好の活動拠点になってきた。うまいビールでインスピレーション がわき、家賃は格安な上、90年の東西ドイツ統一後、住宅市場も過剰供給が続いている。ミッテ地区でベッドルーム2部屋のアパートを借りても、光熱費込み で月額わずか600ユーロ(約7万1500円)。賃料だけで1200ポンド(約17万1400円)のロンドンとの違いは歴然としている。CD店オーナーのギローム・シファートさんは、フランス出身でベルリンに住んで5年になる。金融危機の影響について聞いてみると、CDを高く積み上げた カウンターの後ろからこう答えた。「インターネット販売もしているが、販売枚数はあまり変わらない。金融危機が私たちに影響するとは思えないね」(Patrick Donahue) 一部割愛=産経ビジネスアイWEB版 2008/11/14
ドイツの空路の玄関口はフランクフルトである。ベルリンに行くにはフランクフルトから国内線に乗り換えて1時間、日本から来れば一旦飛行したルートをそのまま戻る形でベルリンまで行くことになる。また空路がいやであれば、ドイツ版の新幹線ICEで4-5時間掛かる距離である。それだけにベルリンに行くことは手軽ではない。そしてベルリンにはロンドンのシティーや東京の新宿のような高層ビル街はなく、経済の中心というイメージはないが、一方で整備された街並みやフンボルト大学の堂々たる構えを見ていると、やはりここはドイツの首都、それもプロイセン時代からのゆるぎない首都であることが伺われる。
ところで以前のコラムでも書いたが、私がドイツにて会社を興したすぐの時に、ドイツ人の社員の自己主張と休みを多く取ることには辟易させられたことを、この記事を読んで思い起こした。当時は開業後まだ間もない時でもあり、自らが率先して猛烈に働けば何とかなるものと高をくくっていたが、ドイツ人のスタッフはその動きにはまったく乗らなかった、その上給料と有給休暇は確実に要求され、実績を上げないくせに、要求ばかりすると正直に言って腹ただしく、怒りのの置き場所に困ったことを思い出した。しかし一方で彼らから学んだことも多かった。それは家族との時間を大切にして、身近な自然と親しみ、そしてその良さを時間を掛けてじっくりと享受するという、言ってみれば金がすべてという考え方とは正反対な考え方を持った人々であった。そしてそのような価値観が現実に先進国に存在することを知ったことは目から鱗であった。会社を興す以前の価値観ではドイツも日本と同じように米国のドル経済に依存して戦後復興を遂げた国という認識であったが、実はドイツの地に住み、ユーロの採用、流通、そしてドル経済圏からの独立を成し遂げた過程を実体験として理解するにつれ、ドイツが国家として自分の国に相応しい、独自の主張をもち世界においてしっかりとした、地位を持っている国として認識するようになった。
実際に私の住んでいたデュッセルドルフにも高層ビルはいくつかあるが、ドイツ人はビルが林立することには価値を置かない、そして名だたる大企業でもこれがあの会社と思うような小さな5階建てくらいのビルにその本社を置いていることも珍しくないし、またそれが当然と思っている。また五つ星の高級ホテルも確かにあるが、地元の人がそこに泊まるからその人の地位が高いなどという感じはもっていない。またデュッセルの銀座と称される通称Koeという通りには多くのブランド店があるが、それはそれであり、庶民から見れば絶対的な存在ではなく、あくまでも一つの選択肢という感覚であった。実は今振り返るとこの感覚が極めて重要であると再認識している。
どういうことかというと、日本や上海でサラリーマンとして仕事をしていた時分は、常に何かプレシャーを感じており、体を動かし仕事をしなくては落ち着かず、また何もせずに呆然とすることには罪悪感すら感じていた。そしてひたすら会社の為、仕事の為、上司の為に頑張っていたような気がしている。そしてそういった感性の中では、例えば東京のウオーターフロントのビル群や神田や新橋の雑踏こそが我々の活きる場所であるかの錯覚を感じていた。その結果、家庭と会社は別物であると考えることが多くあり、その面では家族に迷惑も掛けたような気がしている。しかしドイツに住んでドイツ人の生き方を見るにつけ、身近な存在の大切さが仕事で得られる利益よりも大きいことを学ぶことが出来たと思っている。
その結果、滞在4年目には、毎日のライン川河畔の散歩は日課となり、季節ごとに変わる景色に日々感動し、また一杯の安物のリースリングの辛口と地元産のチーズに幸せを感じる自分に変わっていた。そして今帰国して、自らが高校卒業まで住んでいた故郷長野に戻り、同じような生活をしている。ここには美味しい白ワインやチーズは無いが、それに勝るとも劣らない、米や味噌や醤油といった質の高い調味料、そして果物や野菜がある。そして何よりもちょっと足を伸ばせば、白銀を抱く北アルプスのパノラマを間近に望むことが出来るのである。実際に、私のその日のスケジュールは天候に左右される、朝起きて天高き晴天が見込まれるのであれば、日中の仕事は後回しになる。そして昼に弁当持参で、何物にも変えがたい景色を堪能するのである。この絶景は東京のファーストクラスホテルの最上階より見下ろす夜景をはるかにしのぐすばらしいものである。しかもお金が掛からない。
ところで、日本のマスコミは欧米として欧と米を一つに見る傾向が強いが、これは明らかに違う、そして欧の中にも英国とスイスなど比較的米国よりの国と、独や仏のように大陸国家ではまったく考え方がことなる。この点をもう少し丁寧に説明しなくては、日本人には大きな誤解を生むことになる。特に時としてあたかも米国の考え方を世界中が受け入れているかの報道を目にするときは、大きな危惧を感じる。そして米国のやり方が行き詰っていることを知った時、そして途方にくれたら、人任せにするのではなく、自らが、まだまだ日本には都会や地方に限らず、すばらしい自然と暖かい人情が残っていることを認識して、各々が自らの行き方をよく見つめ、時代にあった生き方を見つめなおすことが必要ではないだろうか?その意味では今は好機到来である。
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Comments
■世界経済と米国経済危機、3つのシナリオ「今の金融危機は問題の“症状”であり、“原因”ではない」-日本の明治維新を思い出すとき!!
こんにちは。最近ビジネスウィーク誌が、金融危機を脱するための3つのシナリオを出しました。そうして、一番良いシナリオは、イノベーションであり、特にアメリカが長期間にわたって大きな投資をしてきたバイオ産業、ナノテクの分野からイノベーションがおこることを期待するとしています。しかし、私はこれだけでは経済危機を乗り切ることは不可能だと思います。これを成就するためには社会的イノベーションが不可欠だと思います。これに関して、特に日本には非常に良いお手本があります。それは、明治維新です。これは、偉大な社会的イノベーションであり、世界に類を見ない無血革命だったと思います。今のこの時期こそ、明治維新を見直すべきです。私のブログでもつい最近オランダで発見された幕末の志士たちが一同に介したこの貴重な写真を掲載しました。素晴らしい写真だと思います。詳細は是非私のブログをご覧になってください。
Posted by: yutakarlson | November 14, 2008 at 10:58
こんにちは。とても素敵なすばらしいお話、ありがとうございました。私は難しいことは解りませんし表現もわかりませんが、心で感じることはできます。人間は何のために生きるのか?と良く思うことがありますが、生物は生まれてきたから生きるのだと最近考え付き、みんな本来は生きる目的は同じでただひとつ。生まれてきたから生きるのだ。それなのに何故かくも苦しく、悲しみや悲惨な人々が存在せねばならないのであろうか。原始時代のほうがよっぽど幸せだったかもしれませんね。
Posted by: 農婦 | November 24, 2008 at 13:39
comment7, http://airsoftgunhelp.com/airsoft/member.php?u=27503 - Buy Ambien, yoqj, <a href="http://airsoftgunhelp.com/airsoft/member.php?u=27503">Buy Ambien</a>, 222, http://airsoftgunhelp.com/airsoft/member.php?u=27503 Buy Ambien, fvnmwl, http://www.ambienusers.com - Buy Ambien, eazqw, <a href="http://www.ambienusers.com">Buy Ambien</a>, pezy, http://www.ambienusers.com Buy Ambien, jjuwj
Posted by: Buy Ambien | April 28, 2009 at 23:48