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December 04, 2008

生き甲斐と夢を奪った強欲資本主義 小金持ちの悲劇からの脱出 Vol.185

この1ヶ月即ちオバマ氏が大統領選に勝利してから、急に投稿する気がなくなった、というのもブッシュ大統領が掲げた、米国の強欲資本主義と一国主義に対して、米国人自らが圧倒的大差を持って否定したからである。しかし先ほど発表されたオバマ政権における国務長官、国防長官、財務長官らの新閣僚の顔ぶれを見る限り、米国の資本主義体制の実態には変化がなく、これは日本にとっては何の変化ももたらさないという率直な感想をもった。我が日本は今後も、米国市場を第一として考え、米国向け輸出で利益を上げ、それで得たドルを米国債の購入に当てることで還流させて、ドル基軸通貨体制維持に向けて奉仕させられることが目に見えており、落胆させられている。

ところで最近私と同世代の人間による、信じられないような犯罪が続発している、特に先の元厚生省次官とその妻の刺殺事件の発生には驚愕させられた。本来社会の中核となって働くべき我々の世代の人間が将来に少しの希望も持たず、悶々とした生活を送り、その結果殺人という犯罪行為に及んだことは、まったく許すことが出来る行為ではない。またそのような事件が続出する日本の現状には閉塞感こそありはすれ、この八方塞の状況を打開する策やあらたな希望をもたらす方針など、今の政府に頼っていたのでは解決策がえられることは出来ないと思う。我々の世代は、この世に生を受けて以来高度経済成長経済下で成人し、一日一日を生きるごとに良い生活が得られた時代を生きてきた。しかしそれが過去の話となった。どうして、どのようなきっかけでこのようになったのであろうか?この点を明らかにし、健全な姿で次世代にこの日本をつなげることこそが我々世代の使命であると改めて認識し、再度筆を取った次第である。

いつ頃であろうか、それは小学生か中学生になったばかりであるが、友人の中にはっきりと金持ちになるために医者を選ぶという、自らの意志で将来の職業を示す友人がいた。また高校時代には将来安定した生活を維持するために東大文一を目指して官僚になるという人間もいた。そして皆が、官僚か医師か有名企業のサラリーマンを目指して苛烈な受験勉強に励んだ思い出がある。実際にその少年、青年時代の我々の目標はそれらの職業に就くことで、金持ちになり豊かな生活をすることであり、そのために過酷な受験戦争も厭わなかったのである。その意味では我々の青少年時代は、極めて限定されたプロトタイプの中に押し込められていたような気がする。そしてその苛烈な競争を経て多くの友人は幸いにもそれぞれの分野に巣立、大人としてひとり立ちしていった。そして今この歳になってそれぞれ個別の悩みは持ちつつもその多くは家族をもち、平穏な生活を維持することに成功し日々を生き延びているという状況である。しかしながら我々が当初描いていた豊かな生活を獲得するという目標は本当に叶ったのであろうか?残念ながらこれはほとんどの人間が実現していないように思う。それは当初我々が予想していたこれらの職業では一定の収入は得ることは出来ても、それが金持ちになるという欲望をかなえてくれるほどのものではなかったことにも気がついたのである。ここに信じていた理想と現実との間に大きなギャップがあったのである。

例えば大企業に就職して、5年目10年目となると、ある程度仕事の内容が分ってきて、自らも収益を上げ会社に貢献することになる。そしてわずかに給与に格差がつけられ、そのわずかを自らは過大に評価し会社に感謝して今まで以上により働く、そして自分の時間まで削り会社のために貢献しようとする。その結果会社からは期待値という形でのノルマが与えられますますその気にさせられる、結果として会社の中では正常であるはずの自分が世間的にはかなり偏向した状況にあることさえ理解できなくなる。その上他のことが分らなくなるので、ますます会社にのめりこむという悪循環に陥るのである。もちろん手にする給与は世間相場よりは良いかもしれないがそれにより失うものについては無頓着であり、果たしてそれが子供の頃目標とした豊かな生活の実現といえるのであろうか?今冷静に考えるとどうも道を間違ったのではないかと思っている。そして先にあげた次官殺害事件の犯人も我々と同じような閉塞感に対抗するすべを持つことができず、あのようなこと起こしてしまったのではないかと認識している。

ところで、何故今の日本はこのように閉塞感が充満するような社会となってしまったのであろう。これを知ることが、この問題を解決し、新たなる社会を作るための鍵となるので考えてみた。そしてその解決の答えは唯一つ、我々日本人が金持ちになること、それも多くの人目指している小金持ち(中流の上)願望をなくすことではないかと思っている。即ち豊かになることと小金持ちになることは異なることに気がつくべきであると考えている。我々は子供の頃より自らが金持ちになることこそが豊かな生活を手に入れ幸せになる最良の目標であり手段と教えられて来たが、実はこの単純な考え方は世界や国家の金を支配する拝金主義者たちの思う壺であり、我々がそれを志向する限りにおいて、彼らにより自らの相対的に少ない報酬でそれ以上の自由や時間を搾取されるという、パラドックスにはめられることを意味しているのである。その背景は具体的にどういうことであろうか?説明を試みて見たい。

まずお金であるが、これは政府が発行する不換紙幣である。即ち白紙に印刷が施されただけのものであり、これは政府の保証によってのみ流通が可能であり、資産価値を認められる。したがい今我々が手にしているお金は貴金属などそれぞれが固有な価値を有する商品とは別物なのである。一方この紙幣を発行するのは通常各国の中央銀行である。ここは本来政府とは独立した機関となっているはずであるが、今はほとんどの国で一体化しており、政府の要請に基づき新札を発行している。ここでこの点を重視したい。即ち政府と中央銀行が一体化していることで、政府は必要な時にいつでも自分の都合で紙幣を印刷費用のみで発行できるのである。これは江戸時代に赤字財政で困窮し財政が破綻した各藩が無制限に発行した、藩札とまったく同じである。ということは、我々はこの紙幣を入手するためにあくせく働かされていることになる。特に官僚や大企業のサラリーマンはこの意味で政府にもっとも貢献しているといえる。

その上政府は、通常の経済活動や行政活動での無駄な出費には口では制限すると言うが、現実には無駄な出費を奨励して、ますます多額の支出を行わせ、その結果足りなくなった部分は赤字国債を発行して、合法的に通貨を発行供給する。その結果、小金持ちの我々の資産はインフレにより目減りするのである。これに対して政府はなにも関知しない。その上小泉政権以来、今まで同じ中流として大きな較差がなかった層を貧困層に落としいれ、小金持ち層を相対的に満足させ安心させ政府を支持させるという巧妙な政策を取った。一方国家の財政赤字については、社会福祉の充実などに必要経費であるといい、赤字国債の発行を推し進め通貨発行量を自ら増やしておきながら、一方では通貨の供給は中央銀行の管轄であると、都合のよい時だけ、中央銀行の独自性を示して、責任を逃れている、これは欺瞞行為そのものであることをしっかりと認識すべきであると思う。

一方視点を日米間に広げるとこの傾向はもっと明瞭である。即ち米日両政府はドルと円を見かけは、それぞれは独立通貨として分けているが、長期的には完全に価値が一致しているペッグ通貨としており、その前提の元に米国政府はドル通貨を無制限に発行し、米国民に消費を奨励し、その商品の供給先を日本に求めるのである。そして元来顧客が求める製品作りを得意としている日本は米国を最大・最良の顧客として厚遇し、米国向けにはどんどん商品を製造し輸出し、その対価としてドルを得るのである。しかしながら米国の圧力で日本国内の金利は常に最低レベルの水準に置かれ結局、国内にはその富の運用先がないことより、好むと好まざるに関らず、米国政府が発行するドル国債を購入して、自らの資金を米国の投資銀行に渡しているのである。その結果本来の金利水準であれば日本国民が確定利回りとして手に出来る金利収益は国民にもたらされず、その結果日本人にとってはすぐに使えないドルを外貨資産として手放さなくてはならないというおかしな結果となっているのである。その結果我々庶民は手元には経済活動を十分に興すための現金が無く結局豊かな生活を享受できない事態となっているのである。一方仮に日本国民にこの事実が幅広く知るところとなって、米国債の解約が求められても、すでに市場に出回っている巨額のドルは常にインフレによる下落のリスクにさらされているので、この解約もできないという八方塞の状況なのである。

結果として言えることは、政府と中央銀行の合体という現代国家ではあってはならない、不正行為と、自らの利益のみを追求してドルを際限なく発行し世界に流通させるという米国の驕りが今の世界的な閉塞感をもたらしているといえるのである。それだけに我々はこの問題を解決し未来に希望を持つためにも一刻も早く、小金持ち願望を自ら捨て去ることが重要ではないであろうか?そして家族と自身が小金持ちでなくても何とか生き延びることが出来る環境を確保しておく必要があるのではないであろうか?

今回の金融危機は、いつかは収まるであろうが、米国や他の先進国、日本政府が資本主義政策をとる限り、同じことが続くはずである。そのための自己防衛策として拝金主義のすべてを受け入れるのではなく、それ以外で最低限の生活が保障される手段をセーフティーネットとして、手元に確保しておくことが必要であると思う。それが出来れば、目前の仕事に忙殺されること無く、自らの主体的判断に基づく生活が可能であり、将来に希望を見出せるのではないだろうか?最近はそんなことを考えている。そして20年近くの東京生活、各5年に渡る中国、ドイツの生活を経て、今故郷である、長野の地で再び居住を始めてみて、強欲拝金主義からは一定の距離を置くために、具体的な生活スタイルを導き出す、ヒントがこの地方での生活に隠されているように感じている。


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