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March 28, 2010

足るを知らない米国が恐れる、刷り過ぎ、作り過ぎ、掘り過ぎ。Vol.220

現在2年ぶりのインドムンバイにいる。既に10回以上の来印であるが、いつも圧倒されている。特に最近の道路や鉄道網の発展振りは目を見張るものがある。今後は間違いなく中国と並び世界の中心の国になると思う。ところで本日は当地の時間で早朝から、インターネット経由で、フジテレビやNHKそしてサンプロを視聴した。特にサンプロは21年に渡る番組の最終回とのことであり、この記念番組を遠く離れた、このインドの地でも日本と同じように見る事がかなうことに、インターネット技術の発展には感謝するばかりである。

ところで、いつも感じることであるが、インドのホテルに泊まると、地元のインドの人が喋る英語は米国や欧州のスタッフの喋るそれとは異なり、品格があることに驚いている。ホテルのスタッフの一つ一つの言葉に、サービス精神があふれており、なおかつ客をもてなす心に満ちていることに大きな違いを感じるのである。そして反対に大したサービスもしないのにチップを堂々と要求する米国の従業員との間に、大きな文化的土壌の違いを感じるのである。このことを見てもこの国には大きなポテンシャルを感じている。

私はインドの食事即ちカレーにいつも感心している。一般国民は野菜食者(ベジタリアン)であり、無用な殺生を忌み嫌い、そして人によっては作物の根を食べることすら植物の死を意味するとして、決して食べないほど心根が優しいのである。また何も料理をしなければ単調な味であり、すぐ飽きてしまう、野菜を毎食異なった味付けをするカレー料理に加工して豊かな食事を享受しているインドの国民に対して尊敬すら感じている。これは肉食を常食としている欧米系の人間とは正反対の文化である。同じ様に中国人も野菜食が中心だが、ここインドの国民は中国よりもっと自然に近い生活を送っている。そもそも穀物や野菜は再生可能な資源である。必要な量さえ手に入れておけば、半永久的持続的に食料資源の確保は可能である。こういった社会では金目当ての商業的生産やGM(遺伝子組み換え)種子を利用しての反自然的生産は必要ないものと考えている。それだけにこの国の人は精神的に物質的な充足、即ち’’足る’’という考えを伝統的に理解しているのではないかと思う。

このインドの地で本日はサンプロの最終回を視聴したが、ここで感じたことは新鮮であった。即ち自民党が戦後60年に渡って唱え続けてきた、成長戦略なるものの極めて浅はかであることを確信した。それは成長こそが我国の繁栄の礎であると言う、呪文のような発言であるが、実はそうでなくても人の幸せは手に入ることを、インドは我々に示してくれるのである。同党が主張する成長戦略とは具体的にどのようなことなのであろう、私はこう考えている。即ち、米国や英国などのアングロサクソン(アングロプロテスタント)が利権を持っている、世界に散在している資源、即ち、原油、金属、植物油、穀物などの原料を加工して、人々に幅広く消費或は使用してもらうことで直接的にアングロプロテスタントに利益をもたらすことであると考えている。そしてその対価としてドルを手にするのである。そしてそのドルで、またそれらの加工した商品を製造する或は駆動させるために必要なエネルギーを確保するのである。もちろん合わせて米国が開発したインターネットなどの最新技術も購入するのである。これが自民党の主張する成長戦略なのである。そしてそれを徹底させるためには企業を大きくさせて、政府が彼ら大企業を管理しやすくする政策なのである。しかしながら、この成長戦略は、我々の生活空間に多くの電化製品や商品、また穀物を大量に消費する肉食などをもたらし、それが充足されると思い通りの機能しなくなってきた。現在ではその成長戦略は、数多くの自殺者の存在や充満する社会的閉塞感として正反対の現象を日本にもたらしているのである。即ちアングロプロテスタントの思想では幸せを掴むことはできないのである。そして自民党が自らの成長戦略に固執する限りにおいては日本人は永遠に幸せにはなれないのである。

こう考えると一つの結論に達する。アングロプロテスタントが恐れることはただ一つ、それは彼らがドルの力により、支配下に納めている資源の供給が需要を超えて過大となり、値崩れを起こすことである。インドや中国より先に経済発展した、日本人はアングロプロテスタントの思想に簡単に共鳴して無条件で受け入れてきた。そして米国とともに発展を謳歌した。しかしその日本にはいまや物資が溢れ、もはや新たに受けいれる能力には限りがある。一方ここインドや中国は簡単にアングロプロテスタントのやり方には迎合しない。となると相変わらず、自制をせずに増刷されているドルの行き場として使われている原油や金属、穀物の供給が過大となり、すでにこれらの資源や食糧だけではドルの行き場が無くなりつつある。その結果、余剰となったドルは、我々の会社の株式や個々人の命にすら生命保険や損害保険として振り向けられているのである。そして時として、過剰に投資されたドルは、天空より地上に降臨し、リーマンショックの様な暴風雨をもたらし暴れるのである。これでは何のための人生なのだろうかこのままでは決して幸せは手にできないのである。人の命まで金で評価される理不尽を我々はもう一度考え直すべきではないだろうか?

我々が同じアジアのインドや中国に見習い、変化すれば世界が変わるかもしれない。

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ポスト強欲資本主義」カテゴリの記事

Comments

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